19.09.17 YOSHIYO Diary

今日はちょっと政治的な話を < YOSHIYO Diary >

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週末にめずらしく高校時代の先輩にお会いする機会がありました。
先輩とは、大きなくくりで同業者であることを最近知って
この歳になって同業であることもうれしかったのだけど
同郷で、同業で、親近感が更に近くなった理由はそれだけではなかったんです。

『働き方改革っておかしいと思わない?』

その先輩からこんな言葉をストレートに聴けるなんて。

この類の話題、実はこれまでも幾度となく
フリーランスで働いている友人や
海外に住んでいる友人と話すことが多くて
もちろん日本にいる知人・友人でも、そう切り出してくれる人を
私は待つタイプ。

私は立場上強く言えない反面もあるし
もちろん強制もしない。
だけど、この政府のよくわからない政策に
私個人としては未来を感じないので、この類の話題になると
色々な角度で話が進み、結局わたしの周りの人とは
同じ意見でおさまります。

残業が悪のように言われる世の中になり
「働くこと」が 生きる中でのウエイトとして、二の次の次くらいに囁かれて
老後のお金が心配と、心配をあおる。

こういう場面を見ると
極めて面白い構図だと思う。

どこどこの国の働き方はこんな風になっていて、
どこの国は国民がこれくらい休んでいて、そのためにこんなに気持ちが豊かで・・・
そんな『他国との比較』を、とってつけたような『働き方革命』の組み取られ方が
無きにしもあらずだなぁと。
いいところだけの上澄みを現状の悪い場面と『比較』して
共感は都合のいいところだけ切り取られて
新しい日本の基準のように規定が生まれるような感覚。

どこの国でも働いている人はめちゃくちゃ働いているし
だからと言ってプライベートがない喪失感で悲しんでいる人だけなわけでも、ないですよね。

仕事があって働けることが本当に幸せだという国だってある。

相対的に仕事のある日本は本来のベースは
とても恵まれている国だと思う。

シンプルに考えて
働く時間を減らせば国の生産性は減ります。
それだけ基本的には経済が緩やかになるでしょう。
どこかでつじつまが合わなくなるので、それに合わせた基準に徐々に物事が更新されて行って
結果として、経済格差はますます一層大きくなってゆくことでしょう。

それならそれと、想定内で進めているならもちろん良いんです。
でもいったいどれだけの人がそうなるであろう想定を深く考えて物事を捉えているのだろう。

この事実とすり替えのように
プライベートの時間があることが幸福につながる
といった巧妙な刷り込みで「働き方改革」的なこととのイコールになるのなら
それで本当に人間の「幸せ」は増すのだろうか。

もちろん、もちろん 「バランス」は大切ですよね。
理不尽すぎる労働環境を良しと言っているわけではありません。

ただ、自分にとっての そのバランスが何なのか、
自分の幸せ・大切なことは何なのか。
働くことに自分は何を求めて、自分はどうしたいか。
その上でどう捉えて、納得して仕事をしてゆくのか。

他人や、知らない他国の「比較」じゃなくて
自分が良しとすることを決められることが
とても大切なんじゃないかと思っています。

自分で決めたモノサシが少なからず見えていたら
誰かとの比較で苦しむこともないし
『自分の幸せの価値観』を誰のせいでもなく自分で更新することができる。
うまくいかないときはそれをただただ受け入れる。
自分で決められるから、誰かとの比較はないんです。

幸せという気持ちは
誰が作るわけでもなくて、自分の中にあるものだから。

・・・・なんて。

そんなことを
小さい時から考えられる時間が教育の場であったら、
苦しい時も・困った時も
人生で必ず訪れる局面に生き抜くすべを身につけられるんじゃないかなぁ。

冒頭の先輩は「品物を期日通りに間に合わせる」ために
大きな工場で一人で奮闘されていらっしゃいました。
お客様に迷惑にならないよう、必要であれば休日も
働く時間も自分の意思で働いていらっしゃった。
「この日はお休みなので」とか「お休みが取れないんで」という言葉は、もちろんなく。
他の人は定時で帰るそう。
でもだからと言って不平不満の言葉を聞くことなく
「働き方革命っておかしいと思わない?」と
口にする先輩は、
働く目的がわかっていて
自分で決めたモノサシをたくさん持っているのだろうなと
久しぶりに色々な話ができて本当に良かった時間でした。

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